私の現役時代(昭和24年)
現在の山高グランド(G)は、僕にとっても懐かしい血と汗がしみ込んだ(G)だ。
(旧)山口中学は、もともとラグビーの出来る(G)はなかった。
部室の前の"楠木" の横の25m2 の広さでスクラム等の練習をしていた。
当時より隣の「(旧)山口高商」の(G)を借りていたのだ。
でも、山口中学ラグビー部は強かった。
終戦を迎えた。(G)は、まだ山口高商Gのままだ。
4年経った。
新制中学、新制高校と名前が変わり、女子高校と合併した。
ジャンケンをして、負けた私たちは、現在の山口大学教育学部付属山口小学校の西校舎に移った。
部室は(東)と(西)の2つになった。まだ(G)は山口高商のままだ。
マネージャーの倉増君が奔走してくれて、現在の山高Gの旧山高Gを借りられたのだ。50年以上も昔のことだ。
当時の旧制山高の先生に池田先生(後の協会副会長)が居られて、良く便宜をはかってくれた。君達(現部員)の走り回る下に血と汗がしみ込んで居る。
学生さんも大らかなものだった。
雨の日なんか食堂の入口を40名の部員が着替えて、入口をつぶしても文句一つ云わなかった。
草ボウボウのGで竹製のポールも吾々が立てた。
G一面に雑草が生えていて上の部分をくくりつけて、そこに足を引っかけてバタバタと転んだものだ。
古い写真やノートを引っ張り出してくると、昔の事が思い出されて懐かしい。
その年のこと、早稲田大学の先輩5名が、当時全日本だった早大の新村さんをコーチにつれてこられて「ラグビーは芸術なり」と勉強したものだ。
それは後述するとしてFWのところだけ、勉強したところを見て下さい。
皆さん、黄色に変色したノートに下手な字でごめんね。
『岩崎満さんからのお手紙』
岩崎さんのノート(昭和24年)
夏合宿・遠征を予定度通り終え、残暑は依然として厳しいものの、秋シーズンをこれから向えようとしているある日、
いつものように、グランドに誰よりも早く立ち、生徒たちの一人一人の様子を伺っている岩崎さんが、一冊のノートを片手に私の元へ 来られました。
そのノートは、昭和24年当時に書かれた岩崎さんのラグビーノートでした。
そこには、フォワードプレーに関してのキーファクターが詳細にわかりやすく書かれていました。わずかな会話の中で、当時の練習の様子が鮮明によみがえってき、その内容の素晴らしさに感銘を受けました。
グランド片隅での当時の話で盛り上がっている中で、照れ笑いをされている岩崎さんに、このノートをそれに対してのコメントをHPに載せて良いかとお願いしたところ、数日後に承諾を頂き、掲載に至りました。
岩崎さんありがとうございました。
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